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サワコの朝 北野たけし ネタバレ(3) [サワコの朝]

サワコの朝 北野たけし ネタバレ(2)からの続きです。

日本人の力ってのが、弱まってきているような気がするんですけれども、学力だけでなく・・
なんか、だから、コンピュータとインターネットを中心とした社会が奴隷化をしてると思うよね。
その中でケンカしたりネットでやったりチャットでやったりしてるのは
狭いニワトリ小屋にニワトリが入れられて頭をツツキ合っているような気がしてしょうがない。
そして卵だけ持ってかれてる気がする。

本当に本人たちは世界が広がってるような気がするけれども、逆にちっちゃい世界しか見えてないと?
要するにちっちゃい事を検索して、調べて、見ることであって
本当に必要な情報って今の街を歩いてて
一切テレビも新聞も見えなくても、歩いてて情報は耳に入るからそれが一番正しいもんだよね。

芸人てよく自分のことをネットでの悪口とか評判とか気にするけど、
俺は一切見ない。

人に悪口を言われたり、批評されたりすることについては、落ち込むとはありますか?
ない。それは、テレビの視聴者とか、その人たちの権利だから。
権利。どうぞ好きなことを言ってください。
我々は職業として食べてるので、「お前何も分かってない」なんて応酬はしない。

そうだこうだおっしゃいながら、たけしさん、人気無くなってないでしょ?
まぁ、そういう風に信じてますけど。
番組のレギュラーが結構あるんで、大丈夫だろうと思ってる・・・うん。

それが昔みたいに、いつか落ちていく不安とか・・・?
それは年齢と共に、体力と感覚も古くなってくるだろうから
フェイドアウトは当然であって。

感覚が古くなってるってことを、チラッとでも感じたことはあるんですか?
俺はね、漫才で40ちょっとの時に、アドリブがパッて出ない時に「あ!終わった」って思った。漫才は。

40ちょっとの時に?
30代では一番相手が言ったことに対する返しの言葉が一番お笑いとして的確な言葉が自分でも自信あったんだけど、パッと出たんだけどね。
「えーっと」て言っちゃう。その言葉は分かってるんだけど、出てこない。
それが出なくなると、反射神経なんで、漫才なんか特に。
反射神経が相当ダメになったって事は、漫才はもうダメだろう、と。

そう思ったときどうなさったのですか?
漫才やめてラジオのDJやったり、コントでもネタが出来ているもの、アドリブをなるたけ使わないように、とか。
俺は早いんですよ。漫才でも、ピークの時に自分でも「これはピークだな」って感じた時なんてここで終わったって思うから。

でもまだ稼げるとか、まだリクエスト一杯あるし・・・
(下り坂の間に)違うハシゴを見つけなきゃと。こっちにラジオのハシゴがあったらそっちにトントンと乗る。

未練は無いのですか?
ない。別に無い。お笑いはお笑いだし。

たけしさんご自身は「引退」の時期とかそういうの考えることはおありですか?
自分は、お客の前で芸をやって上がってきた男なので
自分でやめようとも思わない。
誰が決断するのかっていうと、引退はお客が決める事で、お客さんが「たけしもう見たくない」って言えば
自然と視聴率もなくなるでしょ?
そうしたら辞めていく。

「次はお客をこっちに向けてやる」とか「今回は調子悪かった」とかそういう風には思わないのですか?
だいたい芸人さんはそうですよね。そう言ってやってるよね。
40年間当たんない人いるし。(笑い)
売れない画家だと思えばイイんだけど。
だから、リタイアってのは多分体が動かなくなって発想もできなくなったらリタイアなんだろう、と思うけど。

今、心に響く曲
少女の涙に虹がかかるまで
(1997年)喜納昌吉

喜納 昌吉(きな しょうきち)さんてのが好きでね。
この人が「少女の涙に虹がかかるまで」ってあるでしょ?
結局は、沖縄ってのは大戦で見捨てられた国。
沖縄返還になったって米軍基地はあって。
沖縄にもちゃんと補償しなくちゃいけない。
ちゃんと責任とろう、とれって言ってるのに基地の問題とか押し付けられるでしょ?
そういうのをひっくるめて「楽しいけど哀しいところ」。
だから映画で2、3回沖縄を撮るんですよ。
生物は海から上がって人間まで進化したのに、相変わらず殺し合いをしたり、悪いことしたりする。
それをもう一回原点である海の前にヤクザを立たせるとか、そういったのはちょっと好きで
題材にした映画多かったんだけど、うん。
実はこの歌は、沖縄の現在と夢と愛とみんな混ざった自分は非常にメルヘンチックだと思っている。

なかなか沖縄でしょ?
喜納さんの沖縄なまりと、なんか、感じがいい。

カラオケにいらして歌ってらっしゃる?
これ歌う、歌う。
みんな盛り上がっている時急にこの歌歌うんで、やな顔してますけどね。
どうしてこう、場違いな歌をって。
あと、「空と加藤隼戦闘隊」やって呆れ返って客が帰る。(笑い)

では最後に今の子ども達に、一言。
うん。今生きてることに感謝をするのが良いんだ。
生きていることは全てです。
いずれみんな死ぬけれど、生きている時に「いかに生きるか」だけを考えろ、って。
そうすると、マヌケなことをしているヒマはないでしょ?
言ってる私が間抜けなことをしてるのが、ちょっとツライですね(笑い)

サワコの朝 北野たけし ネタバレ(2) [サワコの朝]

サワコの朝 北野たけし ネタバレ(1)からの続きです。


今日たけしさんに伺いたいと思っていたのが、たけしさんが中心になった時の事件とその次のバイク事故はちょうど10年単位。10年単位になると、爆発したくなる、みたいなところって?
結局イラつくんじゃないですかね。
漫才で売れてラジオでも売れて、逆にイラつくっていうか・・・この先どうするんだ?みたいな。
あと頭の中では落ち込むことしか出てこなくて。イライライライライライラして
おれどうするどうする?ってしてたら、こんな(事件?)なっちゃって。
白紙に戻す、みたいな。
でもまぁ、いいバチだみたいなのもあって。節目節目にバチが当たるので。うーん。
実は、事故の理由ってかなり「映画」があったの。
自分はこれが自信があって、こんな感覚の映画ないだろうっていったらまるっきり評価がないんでそうなると自分の感覚が悪いんだってことになってちょっと自虐的になった。
おれなんなのかな?って思って。酒飲んじゃってワーってなったら事故って後になって考えたら、そこまでして自分を犠牲にする必用はないと。やりたいこと、浅草、原点に戻って自分が良いと思ったことをやって評価されようとされまいとしょうがないじゃない。そこから自分が芸人生活を始めたのに何故ちょっと売れたからってそれを守ってもうちょっと上に行こう、という図々しいことになったんだ、てな感じでちょっと思って。
後は野となれ山となれ、と。

やる事やって失敗したらしょうがない、と?
うん。バイク事故なんかは、なるたけメディアとか読まないようにしてるんだけど自然と入ってくるでしょ?
「たけし終わった」とか「芸能人生終わった」とか
散々書かれる訳じゃん。
それがちょっとショックで、ムカっとくることもあったけどね。

そういう風に言われちゃうと?
じゃぁやってやろうか、と。
だからその(事件)の後の方が、ベネチアの映画祭でとったりフランスで勲章もらったり
いろんな賞をバンバンバンバン増えてくわけ。

しかもパリで個展をなさったり・・
そっちは全部事故の後なの。

今のニュースもそうだし、今の世の中もそうだし、ある時から自分の個性を大事にしなさいとか言って久しいですよね。そうすると昔は自分より世間様の目を気にしなさい、とか人に自分が合わせなさい、とかいう教育だったのが、人より自分、自分、自分をって行き過ぎてる気がしてるんですけど。
人よりも良い所を探しなさい、とか、自分しか持っていない個性、とか。
誰にでも特別な才能がある、とか。
あれ、ウソだよね。

無い奴は無いもん。

俺だってそう。何もない。ただ偶然見つかったのがお笑いだっただけで。
無くても良いっていう教育をした方がいいと思うよ。

だから会社とか職に入ってみた所が思ったところと違ったっていった時の挫折感と言ったらそれはものすごく大きくて。
ホントだよ。あのね。
生き甲斐を見つけろ、とかね、言うじゃん。でもね、生き甲斐なんてのはね、
生きてきて最後に「あぁこれが生き甲斐だったんだろうか」って死ぬ前に気がついたって良い訳であってさ。
みんな若い時に生き甲斐見つけてどうするんだ?
それがダメだったら?
よく芸術家になるっつって天才なんとか、って言われて、その子が挫折したらどうすんのよっていう。
それが全てじゃないんで。
「夢破れた」と思わずに、他になんかないかな?と。

あとよく言うのは、サラリーマンが定年を迎えるにあたって「趣味を見つけよう」とか
あんな馬鹿な話はなくて、辞めたあと釣り覚えたって覚えられるわけなくって覚えられるわけないんだから、早めに遊んでおかないと。
時間が出来てからやるのは、それは趣味じゃない。
時間がないときに、いかに人を騙して(それを)やるかって言うのが趣味なんだから。

よく学校でも言いますよね。校則を無くした方が良いって言うけれども、たけしさんは「あった方がいい」と?
「いかに俺は不良であるか」を見せたがるんで。持ち物検査とか徹底的にすればいいの。
「それでもこのナイフを持ち込んだ」ってそれで済むの。
所が自由にしちゃったら、ナイフを持っても「別に」ってなっちゃって
もう刺すしか無くなっちゃうのよ。
人を刺したらスゴイなって言われるから。

ああ、スゴイなって言われる場所が、むしろ校則がある方が良いと。
(校則が)あって、スカートの長さが、とか、いかに先生・学校を騙してスカートを長くしてまくり上げて入っていくとか、あらゆる悪いことを頭を使って考えていくんで、それの方が教育だと思う。

それを「自由に、フリーに」っていったら、子どもに自由とかフリーとかって分かんないんだから。

今伺ってて、「品性は大事だ」っていつも仰られるでしょ?
うん。最低限の礼儀は守るし、我々の時はいくらなんでも年上の人には(シャキッと)なったし・・・

たけしさん、ワルの時から(アゴ出して)こんななってた訳ではないのです?
ナイナイ。だって近所にワルがいて、ワルが教育係だから。
タバコなんか吸ってたら「何やってんだお前?」って。
「え?」
「俺みたいになっちゃうぞ」って。
「ハイ・・・あ?おっかね。ちゃんとしよう」って。(笑い)

学校教育では、もう一回基本的な礼儀作法をやれば
年寄り・目上の人に対する口のきき方も電車の乗り方も。
変なところでタバコを吸うとか、そういうのもなくなるんで、一回日本は作法とか全部やり直してみりゃいいと思うよ。
その中から文化が現れるわけで、何もないのに文化は「日本の文化を世界中に広めよう」っていったって
日本自体が無いのにどうしてできるんだろうって。

ちっちゃい頃から日本的なマナーが・・・
マナーだもんね。なんか日本にいてね、もうちょっと国を愛すべきだよね。
日本を愛する、だったら、風土もそうだけど、気質とか伝統とか作法。
そっちをまず、学校教育に入れるべきだと思う。
そうするとバカなガキはいなくなると思うよ。少しはね。

サワコの朝 北野たけし ネタバレ(3)へ続く。

サワコの朝 北野たけし ネタバレ(1) [サワコの朝]

実はこの番組、めでたく100回を迎える事になりました。
皆様のおかげでございます。
100回を記念して、こんな方が来て下さる事になりました。
これ、奇跡です。ハイ。
ビートたけしさんです。

たけし「朝からすごい。朝の伝道師みたいな・・・」
「阿川さんとの共演話を聞いた時『話す事ねーよ』って言ったんだけど」
阿川「そう言われたんですけど、たけしさんと深く話したことないんですよ。」
たけし「そうですか??あ、ゴルフの愚痴と、政治的な番組やって出ている議員の悪口と、そのくらいですかね。」
阿川「今日は愚痴でもコマネチでも何でも宜しくお願いします」

(ナレーション)
今日のゲストは、ビートたけしさん。
1947年生まれ(66歳)東京都出身。
1974年ツービートを結成。漫才ブームを牽引しました。
その後映画監督として才能を発揮。今や「世界のキタノ」と呼ばれるまでに。
今日はそんなたけしさんとサワコが本音で語り合います。

噂に聞くところによると最近奥様と本当に仲良くていらっしゃると伺ってますが・・・
え?とんでもないですよ。
カミさんと週に一回食事してるんだけど、それが辛くてしょうがないんですよ。(笑い)
それを私「営業」と呼んでますから。
ずーっと文句言われて、それで小遣いもらう訳ですから。
逆に食事が終わってカミさんと「じゃあな」って別れた時のこの開放感。
これはスゴイです。初めてタヒチの海に行ったような・・・

記憶の中で今もきらめく曲
マギー・メイ(1971年)
歌:ロッド・スチュワート
俺ね、ロッド・スチュワートがスゴイ好きで、その中でもマギー・メイという曲があって
詩を聞いたら結構身につまされるような・・

身につまされる?
うん。ちょっと好きになった女の子が、すごい勝手だし、何でお前にばっかり騙されるんだ、みたいな感じ。

たけしさんにもそういうことがあったんですか?
まぁまぁ。大学の時にね。
そんなに詳しく言ったらしょうがないけれども(笑い)
そんなような時もあったなぁと。

歌詞の和訳はこちら

ハッハッハ。ちょっとかわいそうでしょ?
騙され放題って感じでしょ?

こんな歌歌ってたんですね。
この曲は出だしがアコースティックで良いんですよ。

この歌に出会われたのはいつ頃なんですか?
浅草、漫才師になったくらいの頃に、友達が「この曲が一番好きだ」って言うからアルバム買った。

ある意味カッコイイ男ではなくて、女に振り回される男の曲。 でも、ここ最近の流行りの日本の歌って、「大丈夫」とか・・・
そう。おれ、大嫌いでさ。そういう歌はさ。
「君を独りにしない」とか「僕が居るんだ」とか、大きなお世話だバカヤロウ。
お前なんかできるわけないじゃないか、みたいな。
こっち(マギー・メイ)の方が本音。
浅草でストリップ劇場にいたからかなぁ?

浅草っていう所は、やっぱり女の人がしっかり・強い?
俺がいた時は、ストリップのお姉さんが中にいるコメディアンの面倒を見るってのが
だいたい常識なんですよ。
だから自分が入った時も、姉さんがいてお昼なんか3人ぐらいがさ出前とってくれるの。
「たけちゃん。食べな」って言って。
「たけちゃん。私もとったよ。」なんて、3人分食わなきゃいけないよって、たまんない。
「私の食えないわけ?」なんて言われちゃったりして。
だけど、お金はかからなかった。
そして、そのうち踊り子さんが「たけちゃん、一緒に暮らそうか」って言うわけ。
でもそれは、俺が売れたら一緒になんなきゃいけない。
ま、売れなくても一緒になるんだけど。
それでちょっと・・・なぁ・・・と思って。

基本的にたけしさんは、どっちかというと「男の人がしっかりして女性を守るんだ」という精神の方かと思ってたんですけど
いやー、それは理想であって・・・。
自分で言うのもなんですけど「異常なマザコンで」ふっふっふ。
だから北野さきさんという人がいて。
遠足行くのに、俺の母ちゃんだけ隣に座ってんの。
心配で?
この子吐きやすいから、とか言って。
丈夫なんだよ。悪いことばっかりしてるのに、ダメなの。
とにかくおふくろの目が光ってるの。

いつごろたけしさんはそのお母さんめんどくさいなぁと思いながら自分はマザコンだなと思われたんですか?
結局、彼女やカミさんもなんだけど、カミさんも入ってるってのも変だけど(笑い)
みんな同じタイプ。
「彼女」であり「お母さん」である、の。
「なにやってんの、アンタ。早く食べなよ、きったねーズボン履いて。これ買ってきたから履いてな」みたいな。

いまだに?
いまだに、って言うと問題あるかも知れないけど・・・そういう時期もありましたよ、と。

いまだにたけしさんは浅草というものがお好き?
結局あの時代はね、売れなくても浅草の芸人で死ねばいい、というロマンがあったの。
浅草の芸人として酒飲んでそこで売れなくても芸をやりながら少ないお金だけど漫才師だったってことで死んでいけたの。だから浅草に行ってた。

浅草芸人って何が特別に?
浅草ってのは町自体がね、芸人を育てるようであって今はあまりないけど
煮込み屋さんなんかパッと覗くと店のオヤジが「おーたけちゃん。金ねーのか?」といって「うん」っていうと周りのお客とかが「おいでおいで、飲みな飲みな」って座らせんの。
そういう時代だったの。
「お前、昨日漫才見たけどつまんねーよ。」といったりさ、良い時は「昨日良かったねー。これ、ウチから一杯」とかさ。
今度は出世したらさ、行かなかったら「あいつ来ねえ」とかいって大変になるから。
だから二ヶ月に1度くらいは行くようにはしてる。

今の浅草にも芸人(若手)がいて、お店行くと金取らないわけ。
「お金いらないよ、たけちゃんからもらうから」って。俺が払うことになってさ。
浅草に行くたんびに、何十万か置かなきゃならんからさ。もうやんなっちゃう。(笑い)

サワコの朝 北野たけし ネタバレ(2)へ続く

サワコの朝 栗原はるみ ネタバレ(2) [サワコの朝]

5月11日放送の「サワコの朝」栗原はるみさんの(2)です。
はじめは(1)こちらをご覧ください


私なんか長年一人暮らししていると、父はうるさかったんですよ。ある時母が留守の時私が丹精込めて東坡肉(トンポーロー・・・豚の角煮)を作ったの。そしたら父は「今日はサワコ頑張ってくれた、ありがとう」と言い一口食べて「明日は美味いもん食いに行こう」といわれ、泣いたんだけど。

そういう父親とかダン…(ダンナ?)居たから、自分が結婚するならば食べ物にうるさくない人でって思ったんです。

私は逆。


結婚してないからあれなんだけど…料理ってちゃんと美味しい、とか何か足りない、とか言ってくれる人がいないと上達しないなって。どんどん下手になってますね。
そうなんです。私も主婦の人達にね、厳しいご主人の方が良いんですよって。気難しいくらいの方が上手になるんですっていつも言います。たまには厳しいことも言ってもらってそれを素直に聞く気持ちを持てないと…


栗原さんは旦那様が「これちょっとピンと来ないな」なんてことありませんか?
ありますよ、お米の研ぎ方炊き方…ずっと言われてましたよ。


みんなに褒められてもおウチに帰ってご主人に出すと…?
そうですね、きちんと批評はします。きちんと言ってもらわないとみんな美味しいって言っちゃうからね…そう言う人がいないとね。感謝しないといけない、というのは途中から分かりました。
最初はキツかったですね。


でも今は良かったんでしょうね。だからプロになれたのかもです。


今、心に響く曲は…
エルトン・ジョン「Can You Feel the Love Tonight」(1994年)
これは、60歳から英語を自分で勉強してるんですね。エルトンジョンのこの曲もずっと聴いていたのね。いつか会えるかな?と勝手に決めて。想像しているだけ。「あなたで元気づけられました」って言わなきゃないでしょ?そのために勉強してたんです(笑い)


だけど、良く良くちゃんと見たら彼と私は同い年なんです。同じ世代で頑張っている彼に共感するって言うんですかね。


まだ会えてないんですか?
会えないでしょーーー?私のご飯食べに来て欲しいですよね。


将来いつ仕事を辞めよう、ということも?
今は考えてないですね。それより、70になったら、とかはもう少しなんでやめて、
85位になったら……元気で仕事をすると設定してます。しましょうよ。


 


 


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以上が 5月11日放送の「サワコの朝」 栗原はるみさんの ネタバレです。
佐和子さんが素材・材料を言っただけでささっとアイデアレシピがでてきてすごいなって思いました。
専業主婦から料理家になった栗原さんのマインドというか、格言もイイ言葉が沢山あるなと感じます。

関係ないですが、佐和子さんが「父親とかダン…」の発言、絶対「ダンナ」って言ったと思ったのは私だけ???口うるさい人と付き合ってたのかしら…??と邪推するのでした。



 


 


 



サワコの朝 栗原はるみ ネタバレ(1) [サワコの朝]

5月11日放送の「サワコの朝」栗原はるみさんの回です。

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今日のゲストは、ちょっと友達です。でもすごく久しぶりにお会いします。

これだけ沢山の本を売ってこれだけのファンを持っているのに
いつまでも主婦根性が抜けない素敵な方です。

料理家の栗原はるみさんです。


何時に起きるのですか?
だいたい5時半位?なんか、子育て終わったら早起きする理由なんてないんだけど。


9時ぐらいまでベッドでゴロゴロしてればいいじゃないですか…
それが出来ないんですよ。
でも、だから家がキレイなんですね。


今日のゲストは料理家の栗原はるみさん。
【1947年生まれ(66歳)静岡県出身】
元々専業主婦だった栗原さん。自宅で作る料理が評判を呼び、39歳の時 料理家に。その後料理本「ごちそうさまが、ききたくて。」が大ヒット。主婦の目線に立った食材活用術や手早く簡単にできるアイデアレシピが多くの女性たちの心をとらえ絶大な支持を受けました。
58歳の時には権威あるグルマン世界料理本大賞グランプリを受賞。そして66歳になった現在出版した料理本、累計2300万部を突破しました。
そんな栗原さんが考える、料理上達の秘訣とは?
更に余った食材が蘇る栗原流のアイデアが次々と…


お手製のシフォンケーキを持ってきてくださいました。噂によると、どこの仕事場に行くときも手作りのシフォンケーキを持っていかれると?
今までずっとそうしてましたね。今もそうなんですけど初めて仕事してから10年くらいは、コレ。「撮影がうまくいきますように」とお守り・おまじないみたいにしてやってました。

これはシナモンと、オールスパイスとクローブが入っています。


イイ感じ!!スパイスがよく効いているしとっても柔らかくて。
男の人もワインの時とか喜んで召し上がりますね。


「ごちそうさまが、ききたくて。」という本が長年をかけてだけれども売られ続けしかも200万部ぐらいでしょ?
急に売れたわけじゃなかったんですよ。20年ですから。専業主婦の時に書きためてたメモを本にしたのが「ごちそうさま~」なの。料理家になってから作った料理ではない。


それだけ売れたのをご自身で分析するに、他の料理本に比べて何が良かったって思います?
わかんないんですけど…。書いてある文章がそのまんまになってるのね。例えば「人参がいっぱい残ったから作りました」「千切りは丁寧にやると楽しいよ」とか。
揚げ鶏も、父が鶏が苦手だったので父のために作った料理(揚げ鶏のねぎソース)なんです。


本当に「美味しい」という言葉を家族から欲しいと?
まず家族からですね。家族が美味しいって言わないと、雑誌には出さないですね。


新しいレシピを栗原さんが考えて出てきているようだけども、実は水面下で何十回も試作していると聞きましたが。
テレビに出ると緊張するので、緊張を出さないためには何回も何回も練習しないと。何日も前からすっごい(練習)しますね。その数日間、家族は同じものばかり食べてます…^^


記憶の中で今もきらめく曲は
BREADの「IF」(1971年)です。両親が音楽を聴かない人だったので音楽の知識とかなくて。子供って親が音楽好きかどうかで決まりますよね。「こんな綺麗な曲があるんだ」って結婚をしてダンナ様に初めてプレゼントした曲です。
嫌な事あったらこれ聴こう、っと思って。


ご主人は元NHKアナウンサーの栗原玲児さん。いくつで結婚したんですか?
21歳で知り合って26歳で結婚しました。結婚したらいい主婦(専業主婦)になる、と決めてました。
しばらくしたら、主人から料理番組の裏方、手伝いをやってみないか、と声をかけられ3年くらいやっていた。初めての仕事は、最高でした!!自分自身の通帳も持っていない人だったので、お給料を振り込むための通帳を作った時はものすごく嬉しくて。


仕事の喜びもその時に覚えて…
結構大変でしたけど、名前も名乗らない、自分を紹介をしない裏の仕事っていうのは、結構キツいもんだなと実感しました。3年終わった頃には「仕事をするのは、認められないとダメなんだ」と知りました。誰かに評価されないと、人間て伸びないし、張り合いもないものなのかな、となんとなくその時自覚しました。


その後女性誌から電話が掛かってきて「料理の上手な奥様特集」仕事を下さったのはフリーの方で、昔取材に来た事があってその時に出したお料理が「とても美味しかった」と言って下さって、いつか自分のページが来たとき是非ご一緒したい、と言ってくださったのです。


お料理、ご馳走しとくもんですね(笑い)仕事を始めてみて良かったですか?
ホントに良かったです。心から思いますね。好きな事が仕事になるのが幸せ、って皆さんおっしゃるでしょ?それは本当に良かったですね。


普通好きなことを仕事にしちゃうと、嫌いになりますよね?
それは無いですね。嫌な時あるでしょってすごく聞かれるんですけど、嫌な時は嫌にならないように、余計に頑張りたいですね。そういう自分が嫌いだからね。


料理家 栗原はるみさん66歳。彼女の人気の秘密は主婦ならではの目線。食材を余らせない、手間を掛けすぎない、そんな栗原流のレシピが多くの女性達の共感を呼んでいます。


栗原さんがお書きになる料理本の中に、こういう料理は作らないとか、こういう路線は外れないとかはありますか?
例えば、お豆腐の薬味を上に乗せず、中をくりぬいて入れてみましょう、という時に「くり抜いた分の豆腐はどうなるの?」って気になる。主婦は残った後どうするのかを考えなきゃならない。


主婦になれなかった私ですが…一人暮らしなので食べきれないものがたまるの。これをどうするのかっていう事について。例えば瓶詰めの佃煮、なかなか減らないんです。
塩昆布とかですか?私はポテトサラダに入れます。ちょっとだけグリーンのシバ漬けを薄くスライスして入れます。


山のようにあるらっきょうは、小口切りにしてご飯の上に乗せて更に牛丼にすると、下がシャリシャリして甘酸っぱくてとても美味しい。お寿司にも入れますね。


料理家の人たちが只者ではない、そこの境目はもちろん美味しいものを作る、というのもあるけど、この材料とこの材料を組み合わせる、という発想が普通の人間と違う。
例えばカレーを作る時に、常識的にじゃがいもと人参と玉ねぎを入れれば基本はおいしいカレーができる、という所から離れないんだけども、ここから「これを入れたら美味しいぞ」という発想をしてくれる人が料理家というか、どうして気づくのだろうと尊敬するんですが…

私たちはカレーが1個じゃ困るわけですよね。カレーをやってください、って言われたらやっぱり5つも10も知らないと。作り方も、簡単なものから、レンジで作るものやすごく時間のかかるものも色んな種類のものを満遍なく伝えるっていうのがお仕事なので、日々色々試してみてレンコンを入れてみちゃったりとかね、ハーブをすごくまぶしたハーブチキンを入れてみるだとかやってみますけどね。


失敗もあるんですか?
最初は失敗もありますね。頭で考えるので。最初はイメージを材料を見て考えるんですよ。だいたいの材料を思い出して、これを入れてみようとか…。アイデアが枯渇するとか、追い詰められるというようなことはあんまりありませんね。それが無くなったら料理家やめなきゃいけないもんね。

切り方とか、ちょっとしたアイデアなんですよ。主婦の人たちが、「それ実は私やってたのよ」「そう思ってたんだ」という位のレシピの感覚ですかね。シェフじゃないので、ガラッと変わるのは無いですね。


シェフとは違う?
違いますね。

料理家とは肩書きだけしか、何も資格とか無いので。宣言すればいい職業ですので。今の方が厳しいのではないでしょうか。


それでずっと続けるには新しい料理も開発しなくてはならない?うまくいかない事とかは?
そうですね。「絶対今日は違ったな」という時はありますよ。「美味しい」を数字に出すのが仕事なので。
油揚げのお稲荷さんて、何回も味を足すから美味しいでしょ?それを出来ないわけですよ。何回も、が。だから目分量だったらすごい上手なんだけど、これが分量になると出来ない。近づいているけど、この美味しさじゃないよね、と。


頭の中で「絶対味」というのがあるんですね?
あるんです。それが、感覚だと出るんだけど、数字だと出ない。1回作ったら終わりでしょ?1から作り直さないと。


ご自分の舌、味の感覚を研ぎ澄ますために外(レストラン)で色々食べるのは…
大事ですね。先週もタイに行っていてそういう時には、色々食べるでしょ?それをゴボウでやってみたりセロリに変えてみたり私だったらこうする、など。海外に行ったら絶対にキッチン付きじゃないと困る。ロケで大勢で行く時、みんなにご飯作りますよ。こういうときに、アイデアが出る。

滞在が短いとお酢なんか買ってきませんからね。オレンジで甘酢つくるとか。そういう風に頭が回ってくる。手に入らないからこそアイデアが出てくる。


普通プロの料理家は仕事が終わったら料理は作りたくないもんだと思っていたが…
じっとしていられないんですよ。嫌でしょ?止まれないの。なんかリラックスしない人。主人には「ゆっくりしなさい」と怒られている。



(2)へ続きます。こちらからです。

サワコの朝 福田彩乃 ネタバレ [サワコの朝]

今日のゲストはタレントの福田彩乃さんです。

1988年生まれ24歳。愛知県出身。
2009年(20歳)芸能事務所主催の全国オーディションに応募。およそ3万人の応募者の中からバラエティ部門賞を受賞し芸能界デビューを果たしました。
昨年、綾瀬はるかさんや吉高由里子さんのモノマネが話題となり一躍 時の人に。
最近では女優にも挑戦。(TBS「TAKE FIVE~俺たちは愛を盗めるか~」)着実に活躍の場を広げています。
実はデビュー前、派遣社員だった福田さん。ある出来事が彼女の人生を大きく変えました。


大体今レパートリーはどれ位持っていらっしゃるんですか?
動物とか全部細かいのも合わせると50個ぐらいですね。得意な動物はニワトリです。(ここでニワトリのモノマネ)


記憶の中で今もきらめく曲は?
綾香×コブクロ「WINDING ROAD」

この曲はすごい思い出があって。私が4年前に上京してくる時にこの曲を聴きながら新幹線に乗って…。元々は地元(愛知)の大手自動車メーカーで派遣OLとして勤めてたんです。一番最初は、精肉店でアルバイトをしていて鳥をさばいてました。高校卒業して何もやることがなくてでも働こうと思って、それを約1年やった後に少しだけエステティシャンのお仕事もやって、その後たまたま見つけた派遣OLを1年位。2008年のリーマンショックで派遣切りですね。


この歌に支えられて新幹線に乗って…
ハイ。サビの所で「曲がりくねった道の先に」って所があるんですけど、新幹線がカーブして今東京に向かっている、東京に着いた時にはきっと何か良い光が待ってるんじゃないかなっていうワクワクドキドキしながら。


さっきの話の続きですけど(派遣切り)ある日突然辞令が来るのですか?
周りで切られている人、リストラされている人もいたんです。あの子もリストラされちゃった、あの子もリストラされちゃった、と思っていて、でも何か自分には来ないなって多分自分は大丈夫だろうという変な安心感があって、言われる理由もないなって思っている矢先にある日突然会議室に呼ばれて「本当に大変申し訳ないけれど、後一ヶ月で」とお話をされて。泣きましたね。「いや、無理です。私仕事なくなったら無理です。」


それで次はどういう仕事に就こうとしたのですか?
ハローワークに通って当時ハローワークはバーゲンの様だったんですよ。世の中で切られている人(派遣切り、リストラ)が沢山いてデパートのバーゲン売り場の様に人が殺到していて、ハローワークでは中々見つからなくて、現在は自宅のパソコンからでも仕事探せるんですけど、探している時に本当にたまたま今の事務所のオーディションを見つけまして…。友達と一緒に見てたんですけど、友達が「え!!ちょっとこれ受けてみたら?」って。アミューズがやっていた全国オーディションに一人で行きました。


そういうことは怖くないんですか?
正直、あの時は怖いとかじゃなくて、一刻も早く仕事が欲しかったんですよ。やっぱりリストラがすごく大きくって成人してるのに仕事もないって恥ずかしいって思っていて。だからもし芸能界で就職出来るものならば就職したいっていう…。


普通に考えた時に、今までどちらかというと真面目な事務職とかで人の目に触れて何かをする訳じゃなかったじゃないですか。それを突然仕事がないからといって芸能界という方がリスク大きじゃない!!
多分芸能界の事を分かってないからこそ、そういう気持ちだったというか。芸能界がこういう仕事だと分かってたら多分やらなかったけど、右左分からない状態でエントリーをしてしまったし、取り敢えずいち早く就職したいという、その気持ちが大きかったので。


その時は何をやったのですか?
柳原可奈子さんのショップ店員のモノマネとか友近さんがやるキャサリン。動物のモノマネなどをやってバラエティ部門賞をいただきました。


ご両親は芸能プロダクションのオーディションを受けるということ自体はどうだったのですか?
うちの事務所の大先輩で福山雅治さんがいらっしゃるんですけど、うちの母は福山さんのファンで「マシャと一緒なら頑張りなさい」って。(笑い)


東京に上京してそれからすぐにバラエティ番組とか仕事の道筋はたったのですか?
最初はなかなか難しくて、一つだけ仕事をやってたんです。全国47都道府県を行脚して映画のチケットを売るっていうプロモーションのお仕事だったんです。
それは事務所の先輩の岸谷五朗さんが初監督をされた「キラーバージンロード」という映画なんですけど、その映画には私は出てないんですが、私がその映画のチケットを売り歩く。


(ナレーション)福田さんの記念すべき初仕事。(当時20歳)それはモノマネをしながら全国を回り映画のチケットを売るというキャンペーン。とても過酷な旅だったそうです。


どこで売り歩くんですか?
色んな所です。動物園とかお客さんが動物を見に来ているじゃないですか。そういう人達に「すみません。こういう映画をもうすぐやるんですけど、私がモノマネをやるんで面白かったらこのチケット買ってもらえますか?」そういうのをやってチケットを売っていく訳ですよ。1枚売る毎に300円バックされるので、その300円をコツコツ貯めてご飯を食べたり宿を探して泊まったり…


え!?旅費も出ないの?何枚ぐらい売ったんですか?
ええ、芸能界ってこんなに厳しいんだ!って思ってびっくりしました。結局772枚(231,000円ですね)で、地元が一番良く売れましたね。


地元で知っている人が来たら尚更のこと恥ずかしいという事はなかったですか?
家族や、友人の前、自分が以前勤めていた自動車メーカーの会社の前で、もちろん知っている同僚もイッパイいるので、やりましたね。


それも修行の一貫という意味合いも有るんですかね?
今思うとあれがあったから、色々と乗り越えられたなって正直あるんですけど。


モノマネをする対象、相手の選び方っていうのは福田さんの中であるんですか?
こだわっているのは「女優さんがやりたい」という事。女優さんが好きなんです。好きな人をマネたい。小学校の時からドラマが好きで、こんな女性になれたらイイな、とかそんな妄想がモノマネになっていったんです。


特に最初の頃好きだったのは?怒られたことないですか?
素人時代からファンだったのは竹内結子さんとか綾瀬はるかさん、長澤まさみさんですね。怒られたことは無いですね。お会いしたことも無いんですけど。


モノマネをやる人の定番?デヴィ夫人とかそういう人達はあまりやる気は無いの?
やる気がないというか、多分私の性格なんですけど、人と違うことがやりたいというのが最初からあって、ひねくれてるんですけど…。周りの人が「君すごいね、他の人と違うネタをやるね」と言われるのが自分にとってすごく褒め言葉なんですよ。そう言われる為にも、人と違うネタをこれからも作り続けたいなっていうのはいつも思っています。


どっちかって言うと三枚目じゃない女優さんを真似ているのに何で笑いを誘うのかしらね?
ちょっとデフォルメじゃないですけど私なりの視点で「この女優さんはこういう特徴があるな」って所を誇張してやってます。もしかしたらその部分が笑いになっているのかなと思います。


一番簡単だったのは誰ですか?
簡単だったというか…(ここで滝川クリステルさんのモノマネを振られる)


今は制覇していないけどやってみたい人は?
篠原涼子さん。勉強中です。


一生懸命練習して練習して「似てねーよ」言われることはあるの?
沢山ありますね。ヘコミます。私は自信もってやってるつもりだったのに。仕方なくボツネタにする。大体世に出す前にマネージャーさんに見てもらっているので。マネージャーさんは「似てない」「似てる」「20点」結構厳しいので、もっと練習しようかな、と。もうリストラされたくないので「もう嫌、辞める」とかは無いですね。
「お前もう実家帰ったら?」とか厳しく言われるとムカつくこともあります。正直傷つきます。泣いてわめいて寝たらもう大丈夫なんですけど…。


いろんなバラエティ番組に出てくると諸先輩のモノマネの人達に交流やアドバイスは無いのですか?
コロッケさんとか関根勤さんとか。関根勤さんからは私がまだそんなに知名度も無くて数回しかテレビに出てなかった時でも私のことを知って下さっていて「ねぇ君さ、滝川クリステルのモノマネやる子だよね。君すごい面白いよね。そのまま走り続けて!!」との言葉がとても嬉しかったですね。関根勤さんに言われた!!って思ったら今やっていたやり方で間違って無いんだって思って、このまま行きたいなと言うにも思ったし。後すごい探究心がある方なので常にアンテナを張っていて研究されてる方だし、そういう所は自分も真似して行きたいです。


今、心に響く曲
Enya「Amarantine」
2005年(エンヤ、アマランタイン)
実家で父が掃除をするときにいつもかけている曲なんですけど、私も今ひとり暮らしなので、掃除する時はいつもかけているんです。掃除も思い出すけど、家族との思い出とか実家のリビング思い出したりとかします。


今ご両親は何とおっしゃっているんですか?
頑張り過ぎないっていう事と体だけは気を付けてって。後は楽しいことをやらせてもらいなさいって感じですね。


しばらくは仕事に生きていこうと?
そうですね。今私彼はいないですけど、将来結婚とかもしたいなと思っているので、そういう人が現れたらというか良いタイミングで結婚したいなとは思ってます。子どもが5人ぐらい欲しいので。


早めにね!最後に誰にしようかしら。YOUさんのモノマネでお願いします。
(YOUさんのモノマネで)さわちゃん元気?何かさ、今日地味じゃない?なんでお茶なの?お酒にしなさいよ。じゃ行く?今から。


今日は有難うございました。


サワコの朝 吉川晃司 ネタバレ [サワコの朝]


2013年4月20日放送のサワコの朝、のネタバレです。


今日のゲストは、今や時代劇で殺陣のシーンでこの方がやらなくて誰がやるんだ?と思うくらい存在感の強い、歌手の吉川晃司さんです。

体は相当普段から鍛えてらっしゃいますか?
歌い手は肉体労働ですからね。今は西郷隆盛さんを演じているのでだいぶ体は大きくしています。
体重も4~5キロ増えてますかね。時代劇は楽しいです。ヒーローと時代劇は一緒なんです。ちょんまげによって変身できる。あれで人格がちょっと変われるというか。”変身”みたいな。


ちょんまげつけてロックステージは?
それはないですよ!!(笑い)


1965年生まれ47歳、広島県出身。18歳の時「モニカ」で鮮烈デビュー「ラヴィアンローズ」などヒット曲を連発し瞬く間にトップスターに。1989年には布袋寅泰さんとCOMPLEXを結成し話題を集めました。2009年大河ドラマ「天地人」出演など俳優としても活躍。47歳となった今もその魅力は輝き続けています。デビュー当時はアイドルとして大人気でしたが実は…。同じ年にデビューした友人尾崎豊さんとは心の中で通じ合うものがあったといいます。


記憶の中で今もきらめく曲
ローリングストーンズの「Undercover Of The Night」1983


当時はディスコミュージックが流行っていてローリングストーンズが時代に合わせてそう言うテイストのモノを作ったりしていて「おお、ストーンズやっぱりすごい。時代をうまく取り入れてるんだなぁ」感動しました。


当時は東京に出てきて渡辺プロダクション(当時の芸能事務所)には入っていたんですか?
契約状態でした。事務所には自分でアプローチしたんです。当時沢田研二さんや山下久美子さんなどちゃんとロックスピリッツを持っていながらメジャーをやっている、というのが一番すごいなと思っていた。


17歳の時にデビューアルバム「パラシュートが落ちた夏」を出しました。帯には「オリンピックの道もあったけど、生きるなら より劇的<ドラマチック>に…」とのキャッチコピーが。オリンピック選手になりかけた?
元々水泳選手だったのですが、今で言うアンダー20に一度選んでいただいた事がありますね。


水球をやっていたけど諦めて、渡辺プロに入って映画の「すかんぴんウォーク」でデビューするんですよね?
(ナレーション)
物語は歌手を目指す主人公が海を泳いで上京するところから始まります。水泳が得意な吉川さんの魅力を全面に出す狙いでした。広島県出身の主人公が歌手としてスターダムを駆け上がるストーリーは吉川さん自身がモデル。そして劇中で歌うのは映画の主題歌になった曲「モニカ」。吉川さんは実際にこの曲で歌手デビューを果たし一躍大人気に。型破りなパフォーマンスで見る者を釘付けにしました。


(歌の終わりにバック転をしながら海に飛び込む映像が流れた後)こういうのは最初から演出としてあったのですか?
水があるところだと「どうしますか?」と必ず聞かれてましたね。「(飛び込むことを)やってくれとは言わないのですが、どうする?みたいな。」期待応えて「じゃぁやりましょうか」と。あんまり自分からやってるのは、アホですね(笑い)


モニカでデビューしてからずっと人気が上がってきた頃はどうだったんですか?
戸惑いましたね。まだ1,2年しか経っていないのに。ついこの前までは田んぼのあぜ道通ってたのがものすごくきらびやかな世界に入るわけでしょ?時間の流れが早すぎて、己の思考がついていけなかったんでしょうね。そんなに力は備わってないのに持ち上げてもらっても、皆さんにも申し訳ないし、厳しいな、と。だから走り回ることで自分を安心させてたって所があります。


アイドルとしてのイメージが強いってことにも抵抗があったのですか?
当時はね。今は逆にアイドルと呼ばれたいと思いますけど(笑い)ロック歌手で、というよりも「操り人形感」みたいなものがあるじゃないですか。
「お前は東京に出て行ってテレビに出て、猿回しの猿になるのか?」父親に言われたんです。「マリオネットになって何が面白いんだ」と。
「マリオネットには ならないよ。」
「いやいやいや~」と からかうんです。それで余計ムキになってたかも…


今はどうでもいいことですけど、10代ですよ?


尾崎豊さんがデビューも同期で同い年。仲が良いというよりも、お互い巨大なシステムの中にポトンと落とされた子どもですよ。
彼も彼で同じようなストレスはあったと思いますね。二人で、いや、彼の方が大人でしたね。
「吉川 気を付けようぜ。俺らはまだ子供だ。」
「お、おおう」みたいな。
「がんばろうな。…しかし、お前のその服装はどうなの?それ、格好いいと思って着てるの?」ってお互いに言ってた(笑い)
「お前こそ、それイイの?」
「だけど、お前の音楽、説教臭くないか~?」
「お前、チャラチャラ歌ってねーか?」そんな会話の時間がホッとするというか。


歌自体、ステージやアルバム出したりは楽しかったのですか?
デビュー当時は作家さんに作っていただいたんですけど、徐々に己の作品になり…書けない時期なんかは、どうしようか!!と思った時期もありましたね。

詩を書こうとすると恐怖心みたいなもので、手が震えるんですよ。家に帰ろうと駐車場まで行っても、帰れないですね。家に帰ったら作曲作業の続きをしなきゃいけないと思うと何日も泊まったり。みんなあると思いますけど。締切が決まってたりするでしょ?


そんなに数は多くないですけど、1~2回そういう事ありましたけどね。それが、乗り越えた時に強くしてくれるんじゃないかな?


 


布袋さんと最初にCOMPLEXを組んだのは吉川さんご自分の意志?
そうですね。2人仲良くなって四六時中飲みに行ったり、音楽やったりしてましたね。


布袋さんに出会ったことで得たものってありますか?
やっぱり彼の作曲能力とかデモテープ(レコーディング前の試作品)も完璧に作ってくる所とかね。僕はデモテープ作っても7割くらい出来てれば残りはスタジオでディスカッションして完成させたりしますけど、完璧に作ってくるんですよね。
「吉川、7割のデモテープはデモテープじゃねぇ。100%出来てこないと協奏にもならないよね」と。刺激になったし、大変お世話になりましたね。

2年間活動なさってどうでした?
難しいですね。というか、隣の芝生は青いっていうのかなぁ、僕はバンドをやってみたかったんですね。”近しい仲間”みたいなものに憧れまして。でも、バンドを経験してみたら…一人の方がイイんじゃないかと(笑い)

それと当時は、ロックの世界の方が、純粋に感じてた。芸能界ってもっと【清濁併せ呑む】(せいだく あわせのむ)って言葉があれば、”濁”が多いのかな?と勝手に思っていた。
ところが、ロックの世界も芸能の世界も裏側がつながっているんですよ。一緒なんです。全部。実は。それを見ちゃったというか。「何だよ!!一緒だったんだ!!」と思ったとき、楽になりましたよ。



肩肘張ってもしょうがないと?
うーん、(肩をさすりながら)まだこの辺は張ってますけどね~(大笑い)これ、肩パット肩パットって言われていたけどパットなんて入ってないんです。直角でしょ?皆さんアレですよ、攻撃ですよね。肩パット取れ、と言われても肩ですから。
だから周りの人は、僕がカーディガンを着てもリラックス出来ない。俺はリラックスしてもらおうと、カーディガンを着るけど、直角になっているから…(フフフ)


垣間見える筋肉だけでもスゴイなと、思うのですが普段はどういうトレーニングをなさっているんですか?
公園で。子供たちが遊ぶような公園とかでね。特にジムに通うとかという、ストイックなのは僕は苦手です。(今座っている椅子の肘掛を使って)こうやって鍛えたりできるんですよ。


吉川さんだってここ最近の映画、西郷隆盛もそうですけど織田信長もそうだし、いつからか、すごくいい役者さんになってません?
有難いことに、何か、そういう役を頂いて。本格的ですか?イヤイヤイヤイヤイヤイヤ~(と謙遜)殺陣は結構習いましたけど…


習ったからって殺陣は出来るもんじゃないでしょ?
公園で練習してたら、おまわりさんに怒られましたね。追っかけられましたね。


ああいうのを見ていると、ドラマってのもあるけど、西郷隆盛とかあの時代の人たちっていうのは命をかけて日本のことを考えてたんだな、と気迫が…
僕はその方の心模様、どういう方だったのかなとか可能な限り調べますね。お芝居をとか考えないですね。どういう人だったのか。


例えば吉川さんが考える西郷さんは、どういう所が魅力でどういう風な人だったと解釈を?
もともと武士といっても下級が下の方で、島流しにあって、雨ざらしの檻だけですからね。南国といえども寒いですよ。当たり前に普通の人間だったら、おかしくなっちゃうでしょうね。あれを耐えたという。あそこでやっぱり彼は大きなものを手に入れられたんだと、すごい忍耐力だと。だから致し方なく、国を治すためには多くの方が亡くなる決断もしなければならないじゃないですか。ずっと悩んだ方だったみたいですね。最後の最後まで。ちゃんと悩んで、決断したら変えない。ちょっとヘソを曲げるところもありましたけど。


ちょっと似てません?
それは、怒られちゃいます。ヘソを曲げるところだけはね(似てるかも?)ヘヘヘ。


元々時代物がお好きというか?
時代劇大好きですね。時代劇かヒーローもの(仮面ライダーとか)ですかね。


仮面ライダーにもなったし?

ええ。現代劇はほぼ興味無いですね。ハードボイルドが好きでね。ハードボイルドが生きられる場所って現代ではないと思うんですよ。時代劇やヒーローものとかにはあるんだと思います。
ハードボイルドというのは、男が”かぶける”世界だと思うんです。男が格好をつけて生きられる世界。そういうものに憧れる。
自分の歌でもそうですが、”かぶいて”ますね。見えを張るというか。”かぶいて”ナンボのもの、それが夢だろう、と思っていて、すごく”隣の兄ちゃん”感は嫌ですね。仕事する場合は。


そういう歴史上の偉人だけじゃなく、あの時代の侍、武士というか、今度出されるアルバムも「SAMURAI ROCK」ですよね。
アルバム「SAMURAI ROCK」は精神性というか、「サムライ」のイメージを借りただけですけど。
日本というのは岐路に立っているというのは、間違いないわけですから。僕らはこのまま見て見ぬふりをしてしまっていたら、恥知らずの世代だと思いますね。だって、自分達の無知や色んな事で、我々の次の世代に負の遺産ばっかりを押し付けて行くわけでしょ?
それは何とも我慢がならないというか、自分が自分で”かぶいて”生きてきたつもりなんで、台無しになるなって思いますね。


男のダンディズムが汚されちゃうっていう?
そうそう。”かぶいて”きたのに木っ端微塵じゃねーか。それだけは何とかしたいな、と思いますね。


今、心に響く曲は?
デヴィット・ボウイ「Where Are We Now?」(2013年)
この方も10年ぶりに出されましたね。聞けると思ってなかったんで、ものすごく嬉しかったですね。若い頃から大好きでした。この方も60後半ですよね。
自分の歩んできた道を振り返って、じゃぁこれからどこへ歩いていこうかと。


デヴィット・ボウイさんが10年ぶりにこうやって66歳にしてまた新しい曲を出してくると、油断ならぬ感じですか?
だから励みになりますよね。自分たちももっともっとやんなきゃなっていう。


47歳という年齢で、これからもっとこんなことやりたいとか夢や目標はおありなんですか?
歌える限りは、歌手ですから歌を歌うと。60になったらお寿司屋さんやりたかったんですけど、魚が好きなんでね。ところが、60と言ったらもうすぐなんですよね。


まだ47歳でしょ?
ええ、でもひと回りしたら60ですよ。お寿司屋さんは70にしようかなと。さっきのデヴィット・ボウイさんだってもう70近いでしょ?で、元気じゃないですか?


大丈夫ですよ!!格好いいですよ!
大丈夫ですか?ありがとうございます!!イエーイ^^


サワコの朝 高橋克実 ネタバレ [サワコの朝]

2013年4月6日放送の高橋克実さんがゲストです。


(阿川)いいパパになられて!おめでとうございます。
パパやってるの?
(高橋)やってますよ。男の子なんですけど、楽しいです。
まるっきりこのまま(自分)です。可哀想なぐらい。
A)あちら(髪の毛)はこれから生えるし。
T)(髪の毛の話題)そっちじゃない。


俳優の高橋克実(たかはしかつみ)さん。
1961年生まれ(52)新潟県出身

高校を卒業し上京して役者の道へ。
30代の頃は様々なドラマに脇役で出演。
37歳の時に出演したドラマ「ショムニ」が大ヒット。
幅広い層から知られるようになりました。
近年はその独特なキャラクターでバラエティ番組でも大活躍。

そんな高橋さん。実はナルシスト?
長かった下積み生活で見つけた、役者として進むべき道とは?

---記憶の中で今もきらめく曲
ドラマ『太陽にほえろ!』
ジーパン刑事のテーマ「青春のテーマ
中2頃見ていた。俳優「松田優作」を見たのもこの番組。
松田優作さんの真似を阿川さんに無茶振りさせられるんですけど
お上手でした^^

---この曲聴くと鳥肌立つというか、何度聴いても興奮しますか?
興奮しますね~映像も出てきますね。犯人と格闘する前にジーパンがウワーーって怒ったりするとこれがかかるんですよ。友達やクラスの仲間全員夢中になってました。
必ず1話目に石原裕次郎さんが演じる「ボス」があだ名を決めるんですよ。
自分が刑事になって七曲署に入ったら「"こういうあだ名で呼ばれたい"ごっこ
が流行ってましたね。
野球部でショート守っている奴は「ショート!」とかね。そのまんまじゃねーか。
俺の場合は、髪の毛が天然パーマだったので…
今でも天然パーマですよ!!伸ばせば。ひどいクセ毛。
だから「天パ!」   と呼んでもらいたかった

---ご出身は新潟の三条市。
家は日用品とか売っていました。

---お父様は、金物屋だけど芸事がとてもお好きだと伺ってますが
要するに明るい人なんで…どこの家でもそうだと思うのですけど
子どもに覚えさせるとか…落語とかね。
「じゅげむじゅげむ ごこうのすりきれ かいじゃりすいぎょの…」
覚えさせられて、正月に親戚が集まった時披露させられるんですよ。
顔が「柳家 金語楼」さんに似てたので「金語楼やれ!」
と言われて、顔真似してましたよ。
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笑いの要素は間違いなくあの人(父親)ですね。
ダジャレとかは今でも恥ずかしいほど言いますよ。
友達が集まってくれたところに呼ぶとと大喜びしますよね。

フグの唐揚げ食べてたんですよ。途中で骨が引っかかって
ずっと咳をしているから、
「気にしないでトイレ行って大きく咳した方がいいですよ」
って言った。戻ってきた時「大丈夫ですか?」てきいたら
「うん、ふぐ取れました。(すぐ取れました)」
そういう人なんです。
今年84歳です。

---私もへび年です。(年女)
24歳ですか?(爆笑)

---長男でしょ?
そうですね。普通は中学出たら商業高校へ行って家を継ぐという、流れだったんでしょうね。

---ご自分ではそういう自覚はあったんですか?
どこかでありましたね。
中学生くらいの時にはそうなるんだろうな、と。
東京に行きたくてなんとか僕はそれを避けたいので
家を継ぐのは仕方がないけどその前に東京に行きたかったんです。

大学に行ってからでも家は継げるだろう、という流れにいったんですけど
高校の時点で成績が進学するもしないも無い位のレベルになっちゃったんで
「進学したい」と言ったら担任が鼻で笑った「ハッハッハどこへ?」

とにかくどうせ受からないと思ってましたから
受験する前から予備校を決めてました。
東京に行きたい。七曲署の近くに行きたい。それだけだったんです。

予備校の寮に入って、連日新宿に行って「うわ、ここがロケ地だ」
吉祥寺に行って「うわ、中村雅俊さんがいた所だ」予備校の寮には映画好きな人が何人かいたんですよ。楽しかったですよ。

---その時にいっぱい吸収しているのは大事なんでしょうね。
あれは、自分の中で忘れられない1年でしょうね。
人生の中で一番忘れられないって言ったら18歳、出てきた一番最初の1年だと思います。

とにかく映画見たり。マイナー系の日本映画でも見てフツフツしている頃でした。

---本気で映画の良いのを探していたのね?ただその世界に逃げていたというのではなく…
作品がいっぱいありました。同時に日活ロマンポルノとかも見てました。
くくられると話が長くなるんだけど
「ロマンポルノ」でくくっちゃダメなんですよ。
森田芳光監督とかものすごい人たちが撮ってましたから。

覚えているのは、上野の映画館で
曽根中生監督の「天使のはらわた 赤い教室」これは感動しますよ。
最後は声を出して泣きました。号泣です。感動的でしたね。

こんなオタクみたいな話ばかりしてて大丈夫なんですか?(笑い)

---東京に出てきて役者を目指すことになったのは?
随分経ってからですね。予備校に2年行ってたら大学に行った気になっちゃって。もういいや、と就職するような形をとっていわゆるフリーター。

自分が俳優になる、という明確な目標は無かったんだけど
映画の世界に近づきたい、「太陽にほえろ!」には未だに出たいと思っているような。今考えると夢見がちでしたね。

「太陽にほえろ!」は文学座から行くわけですよ。
文学座に行くには受験があるらしいよ、と聞き問題集など書店で見たものの
「無理だなぁ」と、演劇なんか全然知らない訳だから。

取り敢えず、文学座を見てみるですけど、「ここかぁ」と言いながら
文学座までの道のりを見てみたり、演技のことは見てなく
「もっと簡単に近づく方法は?」オーディションに行った。
受かりませんでしたがね。

そうすると、オーディションとかで似たような雰囲気の人とか沢山いるじゃないですか。自分だけなりきってサングラスだけ掛けて、ボソボソ喋って。
ちっちゃい松田優作さん、みたいな。

---職業を決めなきゃいけないとか、そういう不安は?
無かったですね。全然無かったですね
楽天的というより、全く考えてなかったですよね。
人生設計ゼロでしたね。

---役者の仕事を始められて、最初は文学座はムリだったとしても一応劇団に入って活躍し始めたきっかけは何だったのですか?
ある時に気が付いたんですよ!
ずいぶん前は「医者A」とかの役でも腕まくりして胸元開けて
ワイルドな演技、全て松田優作風にしていたら
「あ、お医者さん役の人さ、そういうの、いらないよ!何さんだっけ?」
「高橋です!」って、そういうことがあったんです。

事務所では「とにかく現場に何か爪痕を残してきなさい」と言われていた頃だったんで何か残せばいいな、と思って。
でもそうすると、逆に怒られたり。俺の中ではちょっとした役で呼ばれて行って試すんだけど全然違うなって言われて…

帰る時半泣きで「今日も全然ダメだったな。何をすればいいのかなぁ?いらないって言われたよなぁ」
という事をやっている時に、気が付いたんですよ!
俺はワイルドじゃないし、カッコイイんじゃないんだって

---いくつ位の時ですか?
36歳頃でしたね。

---それまでは、本気で優作?
優作にも行けると思ってましたね。うん。鏡見るの大好きでしたもん。
髪の毛いじるの、すごい好きだったです。過去形ですけど(ハハハ)
どっちの向きがイイんだ?とかね。
自分大好きでした。

---それが36の時に「違うぞ」と?
はい、それで楽しい方が良いんだな、と。
それまではテレビ・舞台というと「作っていた」のを
もう少し違う方向から行ってみようと、いうのがありましたね。

---それから「トリビアの泉(2002~2006、雑学を紹介するバラエティ番組)」にスカウトされた?
スカウトというか、映像の仕事始めてましたしね。
でも、この番組が世間一般になりましたね。

---ご本人としてはどうでしたか?
不本意というか、落ち込むんですよ。その時伊東四朗さんとお仕事があって
バラエティと役者とどうなんですかね?と聞いたら
「いやいや。テレビに出る、出させてもらえる、仕事がある、そういうのが一番大事でしょう?」と言われました。

「演じている」ということに関しては同じでしょ、って自分で思ったんですね。
そこからその通りだなって吹っ切れました。
昔は出たくて出たくて仕方がなかった訳じゃないですか。
そう言う意味では伊東四朗さんにはとても感謝しています。

---それから3路線の方かと思えば、2路線も、主役も…
今度また新しいドラマが始まるというのは刑事物でしょ?
七曲署ではないけれど。
はい。嬉しいです。
原作があるんですけど「確証~警視庁捜査3課」が
4月15日(月)夜8時スタートします。
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捜査3課というのは余り耳慣れないかもしれませんが。
1課は殺人事件だったりとか。
捜査3課というのは、窃盗専門の部署。
刑法犯罪の中の7割が窃盗=ドロボウなんですよ。

僕の家、10年ぐらい前に泥棒に入られたことがあるんですけど…
タイに海外ロケのため飛行機で行ってた時、泥棒に入られて。
自宅に。
1万円札の絵柄が変わった時に聖徳太子のお札を取っておこうと思って
いたものを持って行かれました。

---札束を?ガバっと?
8枚ぐらいですね。
それとパソコンとかですね。(損害は)大きかったですよ。
その時に捜査3課の刑事さん達には、帰国してからお会いしてます。

---うちに泥棒入った時現場にいたんです。
ん?今日は「泥棒に入られた仲間ですか?」

---ドラマの参考になるかと思って…まだ親と一緒に暮らしていたから仕事始める前の20代だったんですけど。
2階の自分の部屋の2段ベッドの上で寝てたら「ガンガンガン」夜中3時頃に音がして次の瞬間ガタガタってしたから なんとなく薄目をあけたら懐中電灯の光が動いてて「泥棒かな?」て思ったら懐中電灯が私の部屋に入ってきた。
月明かりにその人の顔が写ったとき、穏やかな顔をしてたんです。
「あ、これは職人泥棒だ、静かにしてよう」と思い、しばらくしたら出て行って直ぐに110番して刑事さん次々に来て「すみません、お見合いしてもらえますかね~」と言われ「お見合いは沢山してるんですけど、私」ていったら いやいやと、写真を見せられて「少しでも似ていると思ったら避けてください」…
という話をして、エッセイに書くわ、父は短編小説にするわで
盗まれた額より多く儲かりました。


オチまで付いちゃいましたね。

---今、心に響く曲は
映画「男はつらいよ」
邦画の中では特に元気になりますね。何度見ても良いですよ。

妹が居るんですよ。
子供の頃から親に3歳違いなんですけど比較されるんです。
寅さん見に行くと。
「ホント、うちもこんな感じだな。兄妹。」とか言われてね。
出来の悪い兄と、よく出来た妹。
バリバリの公務員ですよ。まあ、安定している仕事。
安定してないじゃないですか。
子供の頃からそんなことばっかり言われていて、これ聴くと
「わかっちゃいるんだ妹よ」とかね、身につまされる曲なんです。

---ちゃんと身体大切にして働かないと、奥様と赤ちゃんが居るんだから。
そうですね。最後、説教で終わるんですか?
そのケースあまりないですよね??

---ありがとうございます。



以上がサワコの朝、高橋克実さんのネタバレです。
ドラマの宣伝してましたが、「確証」でのエピソードが話題になってましたね。

高橋さん演じるベテラン刑事・萩尾秀一、ハギさんって呼ばれるらしいんだけど、
「これはちょっと危ないですよ。この間もADさんが間違えて『ハゲさん』って呼んだのが榮倉さんのツボみたいで……
角野(卓造)さんからも『ハゲさん』って呼ばれそうになるし、
もう誰が誰を呼んでいるのかわからなくなるよ」と自らの頭髪をネタにしていた。

だそうです^^
明るくて楽しい高橋さんですが、出演する「確証」は
プロの窃盗犯と息詰まる頭脳戦を展開していくそうです。

サワコの朝 内村光良 ネタバレ [サワコの朝]

サワコの朝 2013年3月23日
ゲストは内村光良さん
映画監督・お笑い芸人 熊本県出身

オープニング
「ゲストは映画監督のこの方です」
との紹介に「お笑い芸人の方がいいです」と照れていました。
(阿川)もう2作目の監督映画が公開されますね。
---7年ぶりですね。
(阿川)2作目は慣れた感じですか?
---慣れたというか
今回の作品は監督だけだったので専念できたという感じがありました
(阿川)いくら見てもウッチャンは出てきません。
---一秒も出て来ません。
今回出ることは考えず、頑張って制作に徹しました。

20歳の時専門学校の同級生南原清隆さんとウッチャンナンチャンを結成。
以来数々のバラエティ番組に出演しお笑い界をリードしてきました。
2006年には映画監督に初挑戦。
そして今回7年ぶりの監督作「ボクたちの交換日記」では
夢を追いかけるお笑いコンビの友情や苦悩を描いています。
そんな二人の主人公に命じた
笑いコンビの役作り方法とは?・・・・
そしてコンビ結成28年、相方の南原さんとの関係とは?



記憶の中で今もきらめく曲
サザンオールスターズ「ミス・ブランニュー・デイ」
熊本から上京して日本映画学校(今村昌平監督=「楢山節考」「うなぎ」でカンヌ国際映画祭 最高賞を二度受賞した監督が校長の専門学校)に通っていた。
在校時、最初に仲が良くなったのは出川哲朗くん。
入学して2年目位に初めて横浜スタジアムのコンサートに行ったんです。
サザンオールスターズでした。
何万人も集まるのがすごいと思ったことと
その時に発売されたシングルがこの曲でした。
スタンドで「桑田ー」と叫んでいたのは
南原であり出川でした。

駆け出しの頃の営業の時・・・
厚木の「鮎まつり」のイベントで出演した時
30分2ステージやることに。デビューしたばかりでネタがなかった。
残り10分どうしても余ってしまうので
カラオケで「ミスブランニューデイ」を入れて
二人で普通に歌うっていうことをしてました。
モノマネでも何でもなく全く上手くもない。
音外しっぱなしで。その時反対側から花火が上がり始めて
お客さん全員花火見るのであっち向いてるって状況でした。

映画学校のお笑いの授業で・・・
上京し映画学校に入ったということは映画を作る側に回りたかったのですか?
はい。でもお笑いの授業があるんです。
絶対2~3ヶ月は誰かと組んでやらなければいけなかった。
僕は違う人と組んでたんですけどダメになって
南原も別の人とやってダメで
僕と南原が組んでやったらウケたものでそこからです。

ナンチャンと仲良くなったのは・・・
彼と意気投合したのは「時をかける少女」の大林宣彦監督が大好きということ。
時をかける少女のテーマ曲を歌いながら校内を走ってから仲良くなりましたね。
出川くんは当時シュッと痩せてまして硬派な人間でした。
ミスタードーナツで「おれはいつか三國連太郎みたいになるからと出川くんが真剣な顔で言ってたのを今でも覚えていますよ
役者志望だったんです。

僕はその時は何も考えてなく映画監督も難しいだろうと思い
お笑いの授業では内海好江師匠が講師で来ていらして
「あんたたち、良かったら何か受けてみたら?」とアドバイスをもらい
就職もなかったから「お笑いスター誕生」に出て勝ち抜いていったんです
一回戦を勝ち抜いたのが大きかったんだろうな、と思います。
一回戦で落ちていたら辞めてたかもしれないですね。
予科練航空隊出身の父は電話口で「無心でいけ」と励ましてくれました。

映画学校に通い、役者か監督など映画関係に進むかと思ったら お笑いの道に行ってしまったことをどう思っているのですか?
割と両親は温かく見守っていてくれたんですけど
その年の正月親戚一同の前で妹が
「兄が突然漫才師になってスミマセンm(__)m」と頭を下げたこともありました。

今回作った映画はまさにウッチャンナンチャンが創世記という感じがしますが・・・
基本的にボクらの2世代後の話なので
今の30歳くらいのお笑いさんをイメージしながら書きました。

ナレーション売れないお笑いコンビを描いた映画「ボクたちの交換日記」。
ショーパブでの営業やお笑いトーナメントなど芸人の世界をリアルに映し出し
その中でギクシャクしていくコンビの心の葛藤を描いています。

序盤にニューハーフのショーパブでコントをやる所があるんですけれども
そこは実際に僕たちが立っていた場所だったんです。
舞台に立って「あ、ここ立った時ある」と気付いたんです。
「黒鳥の湖」というニューハーフの踊り子さんの合間にコントをやる、
という。最近はるな愛ちゃんに話ししたら「アタシもそこに立ったことがある」と言ってました。
たまたま見つかった撮影場所なんですけど当時を思い出しました。
ガヤガヤ食事などしていて全然聞いてもらえなく
マイクついてないので地声でやる。

役者さんにお笑いを指導することはどう感じますか?
僕は漫才が難しく書けなくて「客と店員」みたいな設定があるコントなんですね。
今まで自分がやるだけでコーチしたことはないし
相手が役者さんなので教えることは本当に難しかったです。
自分がウケたネタをやらせても、ウケなかったです。
彼らの個性を知って、彼らに寄せた物にしないと。
だから何回も書き直しました。
一番早いのは「舞台に立つこと」なので
二人をお笑いのライブハウスに飛び入りで立たせたんです。
伊藤淳史さん、小出恵介さん共に人気者ですから
出た瞬間観客からは「キャー!!」ですよね。
でも登場が(盛り上がりの)ピークでした。
そっから面白いようにスベリましてケチョンケチョンに
叩きのめされたみたいで呆けて帰ってきましたね

その経験が活きたのか、その後の練習はものすごく食らいついてきてくれました。
もうあんな思いはしたくない、と思ったんでしょうね。

映画監督という最初の夢が叶ってどうでしたか?
20代位で映画は撮れるもんじゃなかったと。
こういう経験を踏まえてきたからこそこうやって今撮れてるんだろうな遠回りじゃなかったと思いますね。

今回の映画でもありますが、二人の関係がだんだんギクシャクしてくる、というのはありますか?
コンビ組んで1年目が一番仲悪かったと思いますね。
僕が勝手に思ってただけかもしれないですけど
友達だったのが仕事のパートナーになったわけじゃないですか。
毎日一緒にいるわけですよ。ツインの部屋2泊した時はさすがに
吐きそうになりました。
年数が増え、学生気分が抜けて、これは仕事なんだと割り切って コンビになっていったという感じですね。

仲良しのコンビもいれば、プライベートは全く別、というコンビもいますが どうなんですか?
僕たちはお互いの連絡先は知らないです。
緊急時はマネージャーを通して連絡先を聞く。
恥ずかしいんですよ。
仕事先であんなに話していて、電話はもういいだろう、と。
最近は個別の仕事が増えたので別々が多いですけど。
二人きりで楽屋はちょっと辛いのでどっちかが必ず外に行くと思います。
向こうもそう思っていると思います。

このコンビは険悪だ、と言われているのは案外そうでもないことがあるのですか?
案外そうでもないです。
嫌っていたら、解散していると思います。
嫌いだったら成立しませんからね。でも一緒には行動したくない(笑い)

お互い別の仕事が増えると、相手のこと気になりませんか?
ラーメン屋さんに行くとテレビで「ヒルナンデス!」が流れるんですよ。
お客さんの視線が一気にやって来るんです。
「お前は良いのか?仕事しないで!のんびりラーメン食ってる場合か?」 と感じるくらい無言のプレッシャーがあるので
ものすごく早く食べて出て行くし、
この前病院に行ってたら「ヒルナンデス!」が流れてきて
「お前病気してる場合か?早く元気になれ」という
空気も困りますね。ちょっと恥ずかしいです。

段々大御所になってきて 有吉さんなど後輩を育てる立場になってきましたが・・・ 内村さんがそのきっかけを作ったお一人なんでしょ?
イヤイヤ彼が自分で上がっていったんです。
たまたま内村プロデュースという番組で芸人さんのお宅拝見に行くと
必ず猫の格好した有吉くんが浴室にいるんですね。
猫男爵っていってましたけど、全裸で体を拭いているっていうのが
ありまして、命名しただけです。

くりぃむしちゅーも元は別の名前だったんですよね?
「海砂利水魚」でしたね。「気分は上々」という番組で
さまーずと卓球対決して負けたら改名、という企画があったんです。
対決に向かうロケバスで有田に
好きな食べ物何?って聞いたら「クリームシチュー」って言ったんですね。
それが面白かったんで「よし、クリームシチューにしよう」ってなったんです。

でもあれで負けて本当に「くりぃむしちゅー」になっちゃってすごく後悔したんですよ。
ただの番組の1企画で卓球に負けたからと言って、人の人生を勝手に変えてしまったようで、その後でものすごく申し訳なく思い、以降は改名企画はやっていないです。もう嫌だと。

くりぃむしちゅーは海砂利水魚より売れましたよ?
それは二人の力です。やっぱり才能があったので、その・・・本当に良かったです。
だってですよ、改名して売れなくなっちゃったら責任感じるじゃないですか。
だから(売れてくれたことに)本当に有難うと、本当に感謝しています。

今、心に響く曲
「ヒーロー」2009年発売(FUNKY MONKEY BABYS)全国のお父さんが元気になる歌ですね。

私もやっぱり娘が出来てから余計にこの歌を聴くとヤバイ、やべっす。
娘は今3歳で、メロメロっす(照れ)
溺愛とはこのことだな!ともう一人の自分が言っていました。
困ったもんで顔が俺に似てるんですよ。ふざけた顔してるんですよね。
愛嬌で乗り切っていくような顔をしているんです。

嫁さんから「多分女の子らしいよ」って連絡を聞いた瞬間
2~30年後教会で新婦の父としてバージンロードを歩く事を
思いましたね。
その想像は、覚悟です。いつか離れていくんだという覚悟
まだ生まれてもいなかったんですけどね。
離れていく前は・・・「いっぱい遊びたいです」(笑い)

ネタバレは以上です。
奥様は. 元テレビ朝日アナウンサー徳永有美さんです。
2005年3月に結婚を発表しました。
2009年6月に長女となる第一子の誕生です。
2006年に第1作目の監督作品となる「ピーナツ」が公開されました。

サワコの朝 久本雅美 ネタバレ [サワコの朝]

サワコの朝 2013年3月16日
ゲストは久本雅美さん
1958年生まれ(54歳) 大阪府出身

(ナレーション)
26歳の時親友の柴田理恵さんと劇団WAHAHA本舗の旗揚げ。
過激なパフォーマンスで注目を浴び
劇団の中心メンバーだった久本さんはテレビの世界へ。
これまでの女性タレントにない独特のキャラクターで
一躍バラエティ番組の引っ張りだこになりました。
そんな久本さんの「笑いの原点」は家族。
そして現在54歳独身の久本さんですが・・・

「記憶の中で今もきらめく曲」
松山千春「大空と大地の中で」(1998年)
佐藤B作主宰の劇団「東京ヴォードヴィルショー」
を見て衝撃を受け
「私はここに入って人生を開いていこう」
大阪から東京に出てこようと意を決した時に
弟がレンタカーで走っているときラジオから流れてきた。

「自分の足で踏ん張って頑張れ」という歌ですから。
それが「よっしゃ、行ったろう」「ビッグになってやる」
「絶対負けへん」とか
いろんな思いが曲とリンクして感動し大号泣した。

道中サービスエリアで妹からもらった手紙を開封した。
「お姉ちゃん、頑張ってね…など激励の言葉の手紙と共に
5千円札が入ってたんですよ。その光景を思い出すと泣きそうになるんですけど
「妹は6歳下なので5千円は大金なんですよね。(妹は)高校生なのに
お金が足りないっての分かってたんでしょうね。」

東京についてからは
「東京ヴォードヴィルショーの稽古場に行ったものの
『稽古中だったらどうしよう・・』と中に入る勇気がなかった。
そしたら関係者が出てきて『あ君か、毎日大阪弁で電話してきたの』
と座長のB作さんに会わせてもらえるようになった。
歌も殺陣もダンスもできない自分に
『君は何ができるんだ?』との問いには
『元気です!』と答えた。『ま、元気が一番良いな』との一言で入団可能となった。

久本雅美が出来た家庭環境とは
両親は二人共徳島出身だが結婚を機に大阪に住み始めた。
母方はものすごく真面目静かで知的。
父方の方は、みんなすごい。
「おばちゃんでーーーーす」と言ってやって来る。
父方の親戚が集まると自分が「親戚中で一番無口だ」と言われている。
『無口な雅美がよう東京に行って仕事してるな』との評価。

家族が仲良しで、毎年家族写真を撮っているとか・・・
父親は今年80歳。年に一度の恒例行事で父は意外と嫌がらない。
母が亡くなってからは「家族で写真を撮ろうか」となり
写真館にて、真面目な写真とふざけた写真を撮るようになった。

お母様が亡くなられたのは・・・
母が亡くなったのは自分が40歳位の時。ガンを患っていて余命3ヶ月と言われていたが
気丈で病気に負けまいと頑張り、周囲の方にも励ましていただき4年延命した。
母が亡くなる時病院のベッドで2つだけ言いたいことがある』と言った。
「お仕事を頂いてお金はあると思う。このお金は価値のあるように使ってもらいたい。
自分のためにちゃんと使うんだよ
「あなたはやらなければいけないことがあるから、結婚はどっちでも良い」
と言ったのは意外だった。
東京に出たときは毎日のように見合い写真も送られ(一回見合いもしたこともある)
早く帰って来いと言われていたからだ。
結婚するしないはどっちでも良い。ただ、彼氏は持ちなさい。
心がギスギスしちゃうから
これを言葉を聞いて「お母ちゃんすごいわ」と思った。

NHKの女性タレント好感度ランキングで3年連続1位を獲ったが・・・
それまでは女捨ててるとか下品だとか言われてたので。びっくりした。
一番最初関根勤さんから電話が入って
「時代が変わった。嬉しくて女房と抱き合った」と喜んでくれた。

この業界に入って、WAHAHA本舗が30年。
WAHAHA本舗では過激なこと下ネタが多い。
笑いを追求した過激なパフォーマンス。
舞台を見た母の反応は「女捨てて良く頑張ってる」と。

下品だとか下ネタの批判を受けて傷ついてたことも若干あった。
自分が面白がっていることしか表現ができないが、
「無いものは出ない」
自分が面白いと思ってやっていることを批判されたりすると傷つくときも正直あった。

父・母と一緒に番組出演した時
ある司会者の「娘さんのパフォーマンスは恥ずかしいと思いませんか?」との問いに
母は「いえ、10人中10人が好きっていうのは難しいと思うんです。
でもうちの娘を見てたった二人でもいいから元気になるとか
嫌なことを忘れるとかそう思っていただいたら嬉しいです。
私は娘に『その2人を大事にしていってもらいたい』との思いです。」
この言葉に「おかん、スゲー」と思い、
その思いを胸に頑張ってきた。

WAHAHA本舗の看板女優がこれほどテレビに出てきたのはいつごろから・・?
23歳頃からはテレビに出るようになったが舞台は毎年一回必ずやってきた。
稽古初めから全国ツアーまで1年のうち4ヶ月は舞台に拘束される。

舞台は何ヶ月か稽古したことの正解・不正解が出るし
台本は自分たちで作っているので、
スベった時などは1日で書き直したりもする。
地方に行ったら初めから待ってましたの大歓声で
幕前で泣きそうになる。感動します。鳥肌立ってきます。

テレビであり舞台であり生涯現役でお笑いをやり続けるのが
私の夢であり願いでありますね。

いつも元気なマチャミ、現在悩みとか抱えているのか?・・・
色々ありますけど、悩みのない人はいないと思いますね。

落ち込んだ時は
基本的に絶対に人のせいにしない。全部自分だ、と腹をくくる。
「人のせいにすると楽よ」との阿川のアドバイスに
楽だよね。でもまた自分に返ってくるんだもんね。
後は自分が信頼する人に話を聞いてもらいます。それが一番。
喋っているうちに心の整理ができる。

54歳独身 結婚は?
今年の初夢が、自分がウエディングドレスを着て結婚式でバタバタ段取りしている夢だった。
あんまり楽しかったから初夢の内容を柴田さんにメールした。
柴田さんには毎年「今年は結婚できる気がする」という。「またか?」と笑って返す。

結婚はしたいですよ。
番組などで結婚時期の手相占いのエピソード。
「35歳で結婚できる」と言われたのは37歳の時だった。

(阿川)私27歳の時見てもらったら「28歳で結婚します」と言われ
え?来年?と喜んだ。が、28歳を超えてしまった。
しばらくして次の占いの人が
「28を逸したので次は40です」えー?40は無いでしょう?と思ったら
「40を逃したら次は72です。」と言われちゃって・・・
(久本)出た!私より上回った!!
中華街のおばちゃんに番組で見てもらったら
「最高の適齢期は65」って言われたんです。
(阿川)では66の時にまた番組に来てください!
結婚出来てないと思うから!

今、心に響く曲
ビートたけし「嘲笑」(1993年)をロマンのある素敵な深い歌だと紹介。
この曲を聴くと元気になるし、ちっちゃいことにクヨクヨしてたら
いけないな、って思える。

たけしさんが大好きなんです。
ここ1-2年位たけしさんとお食事をする機会がありまして。
元々岸本加世子さんと大親友なんですけど
いつも加世子姉がたけしさん素敵ステキと言う。
番組で一緒になったとき
「殿、すみません、加世子姉と私と一緒にご飯行ってくださいよ」
とお願いしたのがきっかけ。
何ヶ月かに1回なんだけど、時々時間を作っていただいて・・・

もう最高ですよ、たけしさんカッコイイから。
女の芸人さんにとって何が一番大事なんですかね?」とたけしさんに質問した際
「そうだな、時には女であり、時には女を捨ててる。」
この振り子の原理ですね。幅の広さ。
女を捨てちゃいけない。
でも女を捨てなきゃいけない時もある。このバランスが大事
とのアドバイスに感動。
「一回ぐらい抱いていいですよ」と言ったら
「お前はいいよ!!(あっち行け)」と拒否された(笑い)が
またその距離加減が良い。

(阿川)じゃぁ15年後に会おう
(久本)お互い、死んでないこと祈って!アハハハハ

******************************

ネタバレ以上です。
元気いっぱいだけど、真剣なお話もたくさん聞けたトークでした。
WAHAHA本舗の最終公演といわれている舞台の告知もありました。

WAHAHA本舗全体公演「ラスト」
4/6(土)~赤坂ACTシアター
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